年末は日光東照宮に行く予定だったのですが、調べると道中の高速道路が大雪で予防的通行止めになるかもって出てたので(関東から帰省してきた弟に「関越道の道中、3台車がぶつかってた」って言われて怖いってなったり)
急遽夫に「雪が降らない方向で行きたいとこない?」と問われ、お友達に壬生寺行ってきたって話しを聞いて「え?み……壬生寺?」って返事したら1泊2日京都とその近辺のお城へ行く事になりまして。
黒井城・出石城(1日目)
で行ってきました。
日本海離れたら天気がめちゃくちゃ良くてテンションぶち上がりますよね〜
朝イチで壬生寺
記念写真とピン
壬生寺の中に老人ホームと保育園があるみたいで、京都だと推しが住んでた場所のホーム選べるチャンスがあるのかと羨ましい気持ちも
(本能寺にも老人ホームがあったり)
壬生寺横の八木邸
壬生寺本堂
芹沢鴨のお墓あるの知らんかった
最近造られた土方歳三銅像の後ろ髪の風に吹かれまくってる躍動感で素敵でした
この池でスッポン捕まえたのかな?
新撰組が相撲の勧進して、お相撲さん達に壬生寺の池のスッポン勝手にとってごちそうしたらしいとか結構な迷惑話しエピソードも書いてありました。預かってたお寺さんも大変だ……
壬生寺隣の、こちらのお菓子屋さんで見学チケット買って、見学終わったらお抹茶が頂けます
八木邸
八木邸はここまでは写真撮影可
(八木邸、現在もお住いされてて御屋敷の一部を公開して下さってるそうなので)
お抹茶とお菓子と八木邸見学セット1000円
お餅も抹茶も美味しかったです
美味しくてお土産に買って帰る(賞味期限は短め)
八木邸の説明で聞いた話し覚書
・幕末の頃は、寺と家の周りは田畑しか無かった
・京都の町屋は蛤御門の変で燃えてるけど、八木邸は燃えてない230年程前の建物で貴重、当時の田舎なので燃え残った
(サラっと蛤御門の変が出てくるの流石京都!)
・郷士でも格が高いから門が作れた、だから壬生浪士組を預かってと頼まれた
・郷士の家なので幕府から天井を低く作れって、指示があったらしい(刀振り回す人がいたから)けど、火を使う土間の部屋は天井が高い町屋作り
・信長に滅ぼされた朝倉家の末裔という事で、八木家の家紋は三木瓜
・池田屋騒動で隊士が増えたので引っ越したけど、八木家にはたまに遊びに来てる隊士もいた
・芹沢鴨が逃げ込んで、文机にコケて八木家の皆さん寝てる部屋に入り込んで殺された時の刀傷鴨居に残っている
(寝ていて芹沢鴨が逃げ込んできた時切られて倒れてきた時に下敷きになったお子さんかその時のことを覚えてて、子母澤寛に話してさらにそれが司馬遼太郎に伝わる)
・司馬遼太郎が燃えよ剣を書くまでは、鞍馬天狗とか尊王側のキャラが人気。鞍馬天狗の敵役としての新撰組近藤勇くらいしか知られてなかった。新撰組と他の隊士達が知られるようになったのは燃えよ剣以降
・壬生浪士組が結成される経過を説明して貰えたお話しをしてもらってたお部屋が実は、芹沢鴨と梅子さん達と寝てて切られたお部屋とお話しの最後に言われて「おおおおおぅ」ってなりました
(畳なんかは当然新しく変えたけど、大正時代までは天井に血が残ってたらしい、今は見えなかった)
以下見学とお話しを聞いた感想
司馬遼太郎のお話しを本当の歴史みたいに語る人もネット上で見かけて、それは違うけど小説を通して歴史上の人物を知る事も多いので、創作と史実は別で楽しむ分には面白い作品を書かれる作家さんですよね。話しの途中に挟む紀行文が本当の話し聞いきたよ調べたよ風に上手いこと書いてあるから余計混同する人がいるのかなとか思ったりはする
末後の水の時は飲めて、水質汚染で飲めなくなったのか、元々飲めなかったのかどうなんだ!?
安倍晴明さんの偉業を称える看板の数々
門もカッコイイ
何故か片方だけの狛犬
晴明神社前のバス停が豪華
両替出来ないアピールの激強な駐車場
買ってきた物
どちらもめちゃくちゃカッコイイよ〜☆
(注・新撰組の方は壬生寺さんの御朱印帳ではなく、新撰組モチーフノートで御朱印帳として使えますよみたいな感じでした。壬生寺の御朱印は壬生寺で貰えて、新撰組のモチーフノートは新撰組隊士のお墓入口で買えました)
よくよく読んだら、車の前後に貼って効果があるらしいので前後に貼りました!